セミナーレポート

居住地は制限しない メルカリCHROに聞く「社員が選ぶ」働き方

業界に先駆けた取り組みが成功した秘訣とは

株式会社メルカリで執行役員 CHROを務める木下達夫氏
株式会社メルカリで執行役員 CHROを務める木下達夫氏

2022年7月11日、OFFICE PASS事務局は「居住地は制限しない メルカリCHROに聞く「社員が選ぶ」働き方」と題したウェビナーを開催しました。
講師にお迎えしたのは、株式会社メルカリで執行役員 CHROを務める木下達夫氏です。メルカリは2021年9月、居住地や出社の有無・頻度を社員自らが選択でき、地方からの飛行機・新幹線通勤や柔軟なフルフレックスタイム勤務をも可能とする働き方の指針「YOUR CHOICE」を発表し、あらたなワークスタイルを実践しています。本セミナーでは、「YOUR CHOICE」の誕生の経緯と結果、「社員が選ぶ」働き方をどのように実現したのかを木下氏から伺いました。聞き手は『ワークスタイル・アフターコロナ』等の著者で、関西大学教授の松下慶太氏です。

「YOUR CHOICE」とは

メルカリの事業は順調に推移しています。月間アクティブユーザは2000万人を超え、年間の流通総額は8000億円に近づいています。東京オフィスは国際化が進んでおり、エンジニアリング組織の50%は外国籍の社員で、その出身国は約40カ国にも上っています。
そんな中で2021年9月に「YOUR CHOICE」という働き方の方針を発表しました。場所と時間を社員が自分で選べるというもので、会社の承認なしに社員自身が決めていいところが大きな特徴です。個人が判断する際には、「パフォーマンスとバリューが最も高まるかどうか」という点を基準に考えてもらっています。

自分が最もパフォーマンス発揮できる働き方は自分が一番よくわかっているはずです。だから、ひとつのルールで縛らずに、ひとりひとりの社員の判断を尊重することが、最大のパフォーマンスを引き出す近道と考えました。ただし、自分だけが生産性が高ければよい、という考え方を認めているわけではありません。メルカリではバリューのひとつに「All for One」を掲げており、あくまでチームメンバーみんながパフォーマンスを発揮し、大きなことを成し遂げられるようにすることが目標です。チームの力の最大化を考えたうえで、自分にとって最適な働き方を考えてほしいと伝えています。

国内であればどこに居住してもかまわない、としていますが、対面の重要さも理解しています。対面で会う頻度はチーム単位で決めてもらい、集まる際の交通費は飛行機代も含め実費で支払っています。フルフレックスも同時に導入し、幅広く活用してもらっています。今では週休3日にしたり、土日に働いて平日休む人もいるほど、自由な働き方が浸透しています。日本法人所属の社員1000人以上が「YOUR CHOICE」の対象です。これだけの規模でかつ承認なしで運用しているのは踏み込んでいる方だと自負しています。

なぜ当社が社員の判断に任せられているかというと、バリューのひとつに「Be a Pro」を掲げていることがあります。ひとりひとりがプロフェッショナルに判断しているのだという信頼があるからこそできることだと考えています。

YOUR CHOICEの概要

エンゲージメントは右肩上がり

社員の会社に対するエンゲージメントは、eNPS(自分の知人や友人にメルカリで働くことを勧めるかを聞く調査)を3カ月に1回実施して計測しています。ここ2年間、eNPSの値は右肩上がりで、「YOUR CHOICE」の導入で働きやすさは上がったといえそうです。とはいえ、エンゲージメントには働きやすさだけではなく、「働きがい」も寄与していると見ています。仕事のやりがい、成長実感など「働きがい」に関する項目がeNPSと相関性が高いことがわかっていますが、これらの項目の状況は実はコロナ前と変わっていません。リモートワークであろうとなかろうと、仕事のやりがいがある会社で働ければ楽しいし、成長実感の高い会社にいればエンゲージメントが高まる。エンゲージメントが右肩上がりであることは、リモートワーク下でも「働きがい」をしっかりと提供できていることの証でもあります。

組織の健康診断 -eNPSの測定-

鍵はローコンテクストなカルチャー

「メルカリはコロナ前からリモートワークが進んでいたからうまくシフトできたのでは?」と言われることがありますが、実はコロナ禍の前はオフィスに出社する人が大半で、リモートワークは事情がある人が利用するのみという「オフィス好き」な会社でした。コロナ禍で原則リモートワークに踏み切って以降、さまざまな試行錯誤を重ねて新しい働き方に適応してきた、というのが実情です。新しい働き方を導入しながらも、エンゲージメントの向上、事業成長、イノベーション創出などが実現できていたことから、「YOUR CHOICE」を掲げても大丈夫だという経営判断に至ったのです。

この背景のひとつには、コロナ禍の前からハイコンテクストなカルチャーからローコンテクストなカルチャーへのシフトが進んでいたことが挙げられます。社員の国籍が多様化し、異なるバックグラウンドをもったメンバーが組織に集まってくるようになりました。その中で、暗黙知ではなく形式知に落とすこと、ネイティブでないメンバーがチームにいる場合には「やさしい英語(日本語)」にするなど、コミュニケーションのあり方を変えていく動きを後押ししていました。これがリモートワーク環境下でもすごく重要になったのです。

ローコンテクストのカルチャーを象徴するものとして、組織文化を明文化したCulture Docがあります。これは、メルカリにおいて大事にしているバリューや価値観、組織に対する考え方が言語化されたドキュメントです。以前であれば一緒に飲みに行かなければわからなかったようなことが、ここには書いてあります。リモートワーク環境下であっても、Culture Docを参照すれば、組織が大事にしているものを徹底的に追求することができるのです。

メルカリの置かれている状況

YOUR CHOICEはなぜうまくいっているのか

「YOUR CHOICE」が自身のパフォーマンス向上に寄与しているかどうか社員に聞いたところ、直近では9割が「そう思う」と回答しました。さらにチームのパフォーマンス向上を促進しているかとの質問に対しては、8割が肯定的な回答を寄せています。

なぜ「YOUR CHOICE」がうまくいっているのか。それは、ソフト面のアプローチとハード面のアプローチを組み合わせた運用を行っているからです。
「ソフト面」とは、コミュニケーションのタッチポイントのことです。Culture Docに示す組織のありようを、無数にある実際のコミュニケーションの場面から積み上げて実現していくための方針や考え方です。
「ハード面」とは、各人がパフォーマンスを発揮できる環境作りと、そうした人に報いるような評価報酬制度、あるいはプログラムとして走らせているチームのコミュニケーションを活性化させるような施策などを指しています。
コミュニケーションと制度、この2つのアプローチがうまく組み合わさりワークしているから「YOUR CHOICE」が成功しているのだと考えています。

YOUR CHOICEとCulture Docを軸にハード/ソフトの組み合わせ

この中からいくつか具体例を紹介します。

働き方の好みや生活のリズムをチーム内で共有する「Workstyle Sync」、一緒に働く人たちからフィードバックをもらえる「Peer Review」、感謝を伝える時にピアボーナスを送る「Mertip」などの施策で、チームが機能するよう支援しています。
コミュニケーションはペーパーレスが前提で、クラウド上にあるドキュメントに皆で意見を書きあう習慣があります。テクノロジーをうまく活用した非同期のコミュニケーションを前提に、週に1回程度ミーティングで議論すれば十分生産的な仕事ができるようにしています。
社内でのコミュニケーションにはメールは使わず、すべてSlack(チャットツール)で行っています。スタンプで感情も表現しながら、カジュアルに頻度高くやりとりすることにより、リモートワークでも十分なコミュニケーションができています。

「YOUR CHOICE」導入後の変化

(講演に続き、木下氏と松下氏のトークセッションを行った)

松下 昨今、「対面かリモートか」と二者択一的に問われることが多いですが、メルカリさんは、「対面かリモートか」の対立軸をとらず、パフォーマンス・コミュニケーション・エンゲージメントを高められる組み合わせで考えています。「YOUR CHOICE」は、社員がそれを「自分ごと」としてとらえ、判断するのを会社が後押しする取り組みだと受け止めました。

「YOUR CHOICE」を導入してから、社員の皆様の居住地に変化は見られましたか。
木下 調査をしてみたところ、15%の社員が引っ越しをしたと答えています。東京から鎌倉に引っ越したというような、比較的出社しやすい場所に転居したケースの一方で、7%くらいは全く違う場所に行ったようです。たとえば実家の近くや北海道に移住した人もいます。外国籍のエンジニアの社員がこの機会を活かし、日本のローカルにどっぷりつかりたい、と四国の古民家で暮らし始めた、という例もありました。

松下 オフィスに出社している方もいますか。
木下 コロナの感染拡大状況によっても変わってきますが、大体10%くらいです。社内では、「(オフィス出社とリモートの)いいとこどりをしようよ」という話がよく出てきていました。「リモートか対面か」、という方法論は本質的な議論ではない。自分たちがどんな組織になりたいかというその上段に議論をもっていくようにしていました。

木下達夫氏(左)、松下慶太氏(右)
木下達夫氏(左)、松下慶太氏(右)

リモートワーク環境下で入社者をどう受け入れるか

松下 ここまで「YOUR CHOICE」を動かしてみて、チームのマネジメントについて知見がたまってきたと思います。その点について教えてください。
木下 各チームが工夫してここまでやってきたので、ボトムアップがとても大事だという実感はあります。たとえば、オンラインだと何か用件がないと話しにくい。オフィスにいた時のような雑談がなくなってしまうので、「コーヒータイム」とか「朝会」なんていうタイトルで、自由参加の時間を設けているチームが自然発生的に出てきました。
対面で集まる機会や頻度はチームごとに決めてもらうようにしました。居住地を変えた人もいて、毎週1回というようなペースでは機会を設けられないチームもあるため、会社が一律に決めたり、強制したりすることはありません。

松下 新しく入ってきた社員は、うまく会社のカルチャーになじんでいけるのですか。

木下 実は、そこが苦労したポイントでした。先ほどお話ししたエンゲージメントの調査の中で、新しく入ってきた社員は、入社当初、他の社員よりも会社に対する評価が高く出る傾向がありました。ところが、コロナ禍でのリモートワークが始まってからはそうはならなくなってしまった。そこで、新規入社者の受け入れ対応を考えるプロジェクトチームを立ち上げて改善を進めました。その結果、新入社員の会社への評価は再び高い数値を示すようになりました。

その取り組みの中で一番効果があったのは、「オンボーディングチェックリスト」の作成です。新しく入ってきた方が、3カ月以内にやるべきことをタスクとして全部書き出しているものです。わかりやすいものでいうと、IT機器や福利厚生のセットアップに始まり、チームに配属されてからのチームの目標の確認や、チームメンバーの仕事の理解など細かいことに至るまですべてリストアップしています。
新しく入ってくるメンバーの入社直後の立ち上げ(オンボーディング)については、Culture Docにも記述があります。メルカリでは新しく入ってくる人をオンボーディングのオーナーとしています。もちろんメンターも全力でサポートしますが、主役は社員本人です。受け身でいないで、アクションを取ってほしいんです。ただ、入ったばかりでは何をしていいかわからないから、「オンボーディングチェックリスト」が必要になる。これを3カ月間で全部こなした暁には、その方が持っている力をメルカリの中で発揮できるようになっていることを期待している、というふうに伝えています。

トークセッション
トークセッション

「YOUR CHOICE」が採用に与えた効果

松下 まさに暗黙知を形式知に、ということなんですね。そういった工夫をされている中で、採用への影響はありましたか。
木下 ありました。経営陣がフルリモートの方針に踏み切れたポジティブな理由の一つが、採用力の向上でした。メルカリのようなIT企業にとっては、ソフトウェアエンジニアの獲得が事業戦略上必須ですが、難易度が非常に高い。メルカリが採用するような候補者を色々なデータベースで調べてみると、勤務地の縛りをなくせば、マーケットが30%拡大すると分かったのです。今は、勤務地の縛りがないということで、これまでリーチできなかった方々に興味を持っていただきやすくなりました。
もう1つ、小さいお子さんがいる、親御さんの介護があるなどの事情で毎日出社するのが難しいという方は一定数いらっしゃいます。そんな方々にも、「YOUR CHOICE」のポリシーを好意的にとらえていただいています。直近では約半分の社員がフルリモートのポリシーを聞いて入社を決断したと答えているので、採用にはかなりポジティブに働いていると思っています。

「出社かリモートか」の正解はひとつではない

松下 リモートワークを推し進める中で、「公平さ」はよく議題に上がるテーマです。そのあたりに対するお考えはいかがですか。
木下 メルカリでもどうしても出社しないとできない業務はあるので、確かに公平性が課題となることもあります。社内ではこのように伝えています。すなわち、それぞれの役割によって求められるものは違う。その役割をプロフェッショナルに全うするために出社が必要ならすべきであると。その一方で、「All for One」という考え方もありますから、ある人にだけいつも(出社業務を)集中させるのではなく、チームの中でタスクを分担する、もしくはある人がどうしてもその業務をしなければいけないとしたら、他の仕事はリモートの人がやる、など工夫しています。

松下 今度はチーム間の公平性についても伺いたいです。つまり、チームを引っ張っている人の働き方の好みでチーム間で働き方のギャップが生まれることはあるのでしょうか。
木下 (社員に)強制はしない、ということを徹底しています。加えて、心理的安全性の高いチーム作りを奨励しているので、マネジャーが「うちのチームは出社でいく」と言ったとしても、チームのメンバーが「それは難しいです」というフィードバックをオープンにできるようにしています。マネジャーがメンバーの意向を無視していたら、そのマネージャーに対して会社からフィードバックがなされます。メルカリの中では、チームの成果を最大化することが求められているので、もちろんチームのために集まる頻度を増やしたい、という提案はしてもよいですが、それに対してチームメンバーが抵抗を示すようであれば、チームの成果を下げることになってしまう。そういったことがないような仕組み作りとカルチャー醸成を徹底しています。

松下 最近、コロナ禍の在宅勤務を経て平常化に向かう中で「原則出社」を掲げる企業が注目されています。そのような動きをどう考えていますか。

木下 企業によって正解は異なるので、経営陣、従業員などあらゆるメンバーが自社とっての正解を導けばいいと思います。ただ、出社とリモートのどちらかのみを取れば、どちらかの良いところは失われる。その機会損失には目を向けるべきだと考えています。
各社にそれぞれの事情があるのは当然です。それを踏まえ、まずはどんな企業でありたいかが先にあり、その実現のためにどんな手段をとるべきかを検討するべきだと思います。

講師プロフィール​

木下 達夫 氏​

木下 達夫 氏

P&Gジャパン人事部に入社し採用・HRBPを経験。2001年日本GEに入社、北米・タイ勤務後、プラスチックス事業部でブラックベルト・HRBP、2007年に金融部門の人事部長、アジア組織人材開発責任者を務めた。2011年に8ヶ月間のサバティカル休職取得。2012年よりGEジャパン人事部長。2015年にマレーシアに赴任し、アジア太平洋地域の組織人材開発、事業部人事責任者を務めた。2018年12月にメルカリに入社、執行役員CHROに就任。

松下 慶太 氏​

松下 慶太 氏

関西大学社会学部教授。博士(文学)。専門はメディア論、コミュニケーション・デザイン。近年はワーケーション、デジタル・ノマド、コワーキング・スペースなどメディア・テクノロジーによる新しい働き方・働く場所を研究。近著に『ワーケーション企画入門』(学芸出版社、2022)『ワークスタイル・アフターコロナ』(イースト・プレス、2021)『モバイルメディア時代の働き方』(勁草書房、 2019)など。